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イベント「理性から情動へ-AI&データ時代、選択を委ねる人間たち」


昨日(3月12日)、六本木にある国際文化会館で開催された「『人と情報のエコシステム』研究開発領域シンポジウム」に参加してきた。

このイベントは、私が所属している日本認知科学会の紹介で以前から知っていた。

拙著「人工知能を超える人間の強みとは」(技術評論社)を執筆するとき、参考のため、第一回目のシンポジウムに参加している。

三回目を迎える今回は、

「『理性の塊』ともいえる人工知能(AI)は、情念を完全に捨てきれない人間の繁栄をもたらすのか、それとも滅亡に導くのか」

というテーマで議論された。

講演およびパネル・ディスカッションは、東京大学、京都大学、早稲田大学、慶応大学の教授、准教授など、そうそうたるメンバーによるものだった。

お話を拝聴していて、教授陣の「秀才ぶり」には認めるざるをえない。

しかし、なぜ今さらこのような議論が行われるのか、私にはどうしょうもなく不思議でしょうがなかった。

私は拙著の中で、人間と人工知能の思考や学習の「質」の違いを認知心理学や教育学の理論で証明している。

べつに理解不能な数式や、長ったらしい化学反応式などを一切用いていない。

大学入試の偏差値が平均の50以上ある18才の高校生ならば、読んで理解できるはずである。

実際、拙著はいくつかの大学の入試問題に引用された。

ところで、先週、日本人ならば誰もが憧れる超一流大学で、人工知能のオープンセミナーがあったので参加してきた。

そこで、日本を代表する人工知能研究のとある大家が、

「『人間が動物である』のと同じ論理で『人間は人工知能である』

と仰った。

そのとたん、私のとなりで居眠りをしていた奈良順子代表がビックリして目を大きく開けた。

そして、なぜか困ったような顔をして私を見つめた。。。。

拙著で、私は「機械論的唯物観」による人間の直観と思考の考察を完全に否定している。

簡単にいえば、人間は機械ではない。

もっといえば、いくら脳神経を「物質」として捉え、脳の仕組みを人工知能に真似てみても、人工知能が人間らしい直観的判断や思考をできないし、人間を超えることができない。

だから、人工知能が人類の知性を完全に超越するという「シンギュラリティ」など2045年に絶対やってこない。

私がそういっても、誰も私の話を聴かないし、信用もしないだろう。

「心」とは何か、「直観」とは何か-その最大のヒント(というより答え)は東洋医学の中にある。

今回の研究プロジェクトは、人工知能を含めた認知科学や西洋医学の常識をはるかに超えた内容となるだろう。

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