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博士たちの「憂うつ」と「新しい生き方」(1)


三日前の朝日新聞デジタルで、日本仏教を専門とする43歳女性の博士が就職と結婚に絶望し、自ら命を絶ったという記事があった(亡くなったのは2016年2月)。

彼女は、素晴らしい研究成果をあげてきたのにもかかわらず、正規の教員や研究者としてのポジションをなかなか獲得できず、親に経済的に依存しながら研究を続けてきた。

まず、彼女に対して追悼の言葉を述べたい。学問の道を歩く同胞として、彼女の死は心痛いものであり、大学制度や学術界の弊害を痛感させられる。

日本のポストドクター(博士号取得後の研究員や助手)たちの多くが、不安定な雇用条件のなかで研究生活を継続している。博士号を取得するのは、はやくても28歳、30歳以降という人もけっこういる。

こうした事情は欧米でも同じだ。とくにアメリカの教育制度では、大学生活が日本の高校に相当する。

つまり、大学時代の成績次第で、医学部大学院、一流ロースクール、大学院などの進学、さらには大学卒業後の就活に大きく影響する。

だから、アメリカの大学生活は、ある意味、日本の受験戦争に雰囲気がよく似ている。日本の高校生が予備校の模試の結果に一喜一憂するように、アメリカの大学生たちは学生時代の成績に「超」ピリピリしている。

欧米の大学院の生活となると、勉強がさらに専門的になるし、教授も学部時代よりもはるかに厳しい態度をとってくる。徒弟制度ともいえる、濃密な人間関係がある。

基本的に大学院は、アカデミシャン(学者)、学問のプロフェッショナルを養成する「職人学校」のような場所である。人生のモラトリアム期間を延長するために入学する人はいない。

しかし、一説には、アメリカ、カナダの大学院生のうちの約50%がうつになっているという話もある。英国など、一年中曇ったような天気で、飯もマズく、陰気な人も結構いるから、その割合はもっと高いだろう。

私はといえば、ストレスも大きかったが、むしろ将来への希望の方が強かったように思う。大学院時代、日本人学生は私だけで、教授や同級生たちも珍しがって大切にしてくれた。

卒業後、かりに大学の教職や研究職がなかったとしても、日英バイリンガルの教育コンサルや教育ジャーナリストとして独立するつもりでいた。

自分の研究室がなくても、パソコンとオンライン図書館、書籍、インタビュー・データから本を書いたり、セミナーを開けると考えていた。

こうした人生の「プランB」を考えることは大切だ。

上の写真は、私がPhDプログラム(日本でいう博士課程後期)に在籍していたときのスナップ。前列一番左端で、サッカー日本代表の中村俊輔選手のシャツを着ている。

あれ以来、級友たちと連絡をとっていないが、みんな元気だろうか?自分の人生に絶望したりしていないだろうか?

(つづく)

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