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「頑張ること」の意義が問われる時代


みなさん、こんにちは。寒い毎日ですが、お元気でしょうか。

いよいよ二月に入り、入試シーズンですね。また、国家試験もすでにはじまっていて、何かと気分が引き締まる季節です。

受験生の皆さんには、体調に気を付けて頑張ってください、とかいいようがないです。

私も日本やアメリカなどでいろいろと試験を受けてきました。

私自身、成功も失敗もしましたが、試験は野球と同じで、九回裏で逆転ホームランだってありえます。

長い人生で、今回の試験だけで人生のすべてが決まるわけではありません。最後まで自分を信じてやりきってほしいと思います。

さて、今日は、毎日新聞のある記事(←クリック)をご紹介したいと思います。

50歳のある大学非常勤講師の話です。

彼は、子供の頃から勉強が好きで、学者を志し、フランスで仏文学の博士号を取得して日本に戻ったものの教授職がなく、複数の大学をかけもちして非常勤講師をしているというのです。

このような方は珍しくなく、国内には大勢います。

その理由は、記事にも書いてありますが、国の政策で博士号取得者を増やしたけれど、大学のポストが増えたわけでもなく、むしろ無職や低所得者を増やしてしまったということです。

じつは、欧米社会でも同じようなことが起きているのです。

とくに2000年代初頭に金融危機があって以来、高学歴者のキャリア形成が非常に難しくなってきました。

そういう意味で、こうした事態は世界的な傾向だといえるかもしれません。

かつての私もそうでしたが、大きな試験の直前や大学・大学院卒業の前となると、目先のことで精一杯で、とても先のことが考えられないものです。まあ、それは当然ですよね。

でも、先の記事の非常勤講師の話や、私の周りで優秀であるのにもかかわらず、会社が倒産してしまい失業したり、別の理由で職を失った人たちの話から、「頑張ること(頑張ってきたこと)」がキャリアに反映されなくなってきた時代なのでは、と思ってしまいます。

かたや、学歴が中卒や高卒だけど、株やビジネスでウン億円やウン十億円を手にし、毎日享楽に生きている人もいます。

もちろん、人生の価値はどれだけ楽にお金を稼げるかで決まるわけではありません。

ただ、今、学歴にしても、働き方にしても、生き方にしても、価値観が大きく変わりつつあることは確かだと思えます。

目先の試験に合格しても、人生の成功が保証されるわけでありません。それでも、試験に合格すれば、その後の人生が有利になることは確かでしょう。

でも、中卒・高卒の億万長者がいるわけですから、かりに試験に失敗してもまだまだチャンスが残されています。

何がともあれ、まずは目先の試験を乗り越えましょう。

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