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総合と総体(2)「分析的部分観と部分的全体観」


みなさん、こんにちは。大変忙しくて、ブログ更新が久しぶりになってしました。

まず、みなさん、大変ご心配おかけいたしました。先月26日、弊社スカイビジネスの奈良順子代表も無事に二度目の退院をすることができました。内視鏡で胆石を除去することができ、胆のうを全摘せずにすみました。

しかし、まだ完全に完治したわけではなく、しばらく安静にする必要があります。それでも、九死に一生を得るとはまさにこのことで、みなさまには大変ご心配をおかけいたしました。弊社の業務は継続しておりますので、ビジネス英会話レッスン、認知トレーニングのコンサルティングなど、お気軽にお申し込み下さい。

さて、順子代表が胆石症を病む前から、私の研究プロジェクトとして、ベテラン(というよりも達人)の鍼灸師の直観や意識の働かせ方について研究調査してきました。

その一つのテーマとして、「総合」と「総体」の違いを挙げることができます。この二つの言葉は大変似たような意味をもっていますが、じつは違うのです。そして、皮肉にも、順子代表が西洋医学と東洋医学の治療を受けて、その違いが徐々にわかってきました。

まず、「総合」についてですが、上の一番左の絵図を見てください。

一番太い管が十二指腸で、枝分かれしているのが胆管、その先の青い部分が胆のうです。臓器の各部分が明確に区切られています。

私たちがよくイメージする体の臓器とは、こうした一番左のような現実的、写実的、かつ分析的なものです。むしろ、ロボットか何か機械の部品のようにも見えます。

西洋医学における人体とは、解剖学に代表されるように、こうしたバラバラになった体の部分の寄せ集めと考えるわけです。こうして部分の集合体を「総合」というわけです。

つぎに「総体」についてですが、真ん中と一番右側の絵図をみてください。真ん中の絵図は、腹部(胸から下、陰部より上まで)を点線で曖昧に区切ったものです。

よく見ると、心、胃土、大腸、小腸などの文字があります。これは、腹部全体で、人間の臓器全体の関係性を示しているのです。つまり、右図にみられるような人体を表しています。この図は、鍼灸団体の北辰会が採用する夢分流の腹診図というものです。

つまり、鍼灸師が腹部を診るのは、腹部の中にある特定の臓器を観ているのではなく、腹部という体の部分を通して体全体を診ているわけです。

「部分を通して全体を知る」といってもよいかと思われます。

すなわち、西洋医学が、胆のうという一つの臓器を体から切り離して、それを独立して診ているわけです。同様に、他の臓器も区分して検証し、最後にすべての臓器を合わせて一つの人体とする。だから、西洋医は、お腹を触りながら、胆のう、肝臓など、特定の臓器の状態を探っているわけです。

私は、こうした西洋医学的な診方を「分析的部分観」とよんでいます。

しかし、東洋医学は、体全体のうちの胆のうであり、それだけを診ているわけではない。全体の中の部分であり、また腹部が体全体を象徴し、意味している。だから、達人クラスの鍼灸師たちは、腹部を見たり、触ったりするだけで、体全体の状態がだいたいわかってしまいます。

私は、こうした東洋医学的な診方を「部分的全体観」とよんでいます。

ちなみに、体のある部分から全体を把握しようとする東洋医学的な診方は、私の直観研究と相性がいい。似たような考え方といえます。

この話は、次回に続けましょう。

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